無気力な人間達[3]







 俺には、子供のころに夢があった。


   まだ高校生だが、こんなことを言ってしまう。
 その夢は、けして叶えることの出来ない夢だからだ。

 学校の屋上で、俺は優しい風に吹かれている。何もやる気が起きない。
 ただ、屋上に寝そべって、空を観たり、景色を観たり、人を観たりしている。
 意味がない行為ということも知っているし、理解もしている。なぜか、辞められない。「辞めようと思えば、いつでも辞めれる」。それだけが、事実でもあり真実でもあった。そんな考えの俺は、自分に失望する。
 そんな思考をしてしまうときには必ず、

「心が痛い」

と、一人、屋上で言ってしまう、俺。情けない。
 いつもそうやって逃げているだけだ。




 子供のときの、小さな夢。子供にとっては、大きな夢。

   それは、死んだ動物を生き返らせる方法だ。


 小学生のときにハムスターを飼っていた。
 茶色の毛並みで、チョコチョコと動き回ったり、木の実をかじる姿が、愛らしかった。
 母が誕生日のプレゼントに買って、俺にくれた最初で最後のプレゼントだった。母が死んだとき、俺の祖母が、

「きっと、お母さんは、ハムスターに変身したのよ」

 その言葉を、当時の俺は真に受けていた。
 今、考えると、そう思い母の存在を忘却したくなかったのだと思う。
 母の死から、祖母の言葉を信じて、いつも学校帰りにすぐにハムスターに駆け寄っていた。そして、俺は必ずこう言う。

「ただいま、母さん」

 小さな姿になっただけで母さんは、俺の母さんだった。
 今日の出来事を日記に書くように、ハムスターに語りかけていた。

「今日ね、友達と喧嘩したんだ」

「今日ね、先生に褒められたんだ」

 

「今日ね、友達と仲直りしたんだ」

「今日ね、先生に怒られちゃったんだ」

 祖母はそのときの俺を観て、どう思ったのだろう・・。
 きっと、気を重くして影ながら俺を観ていたに違いない。

 ハムスターになった母に、齧られた時は今日の出来事を反省して、黙って背中を撫でることが出来たら褒めてくれていると、当時の俺は勝手に解釈していた。
 そうすることによって、やはり、母の存在をかみ締めていたのだろう。



 ある日、帰ったら母がいなくなっていた。
 祖母に、

「母さんは?」

と尋ねたら、

「逃げ出したよ」

と答えた。  小学生ながら俺は感じた。
 「逃げ出したよ」は「死んだよ」の裏返しなのだ。
 俺はそのとき、

「そっか、絶対探してみる」

 祖母の視線を感じながら、家中を探している俺は、虚心を覚えた。俺は残酷なことをしている。祖母に対しても、自分に対しても。祖母が、俺の後ろを静かに追ってくるのがわかった。

 そのときの俺は、涙を出しながら探していた。
 鼻水を垂らしながら、涙を流しながら、シャックリを上げながら、

「いないなー」

と、背を観ているだろう、祖母に間接的に訴えていた。
 八つ当たりにも、似た感情。今ではそう思う。


 そして、その日の夜、誰かに願う。布団に潜り、暗闇の中、無我夢中で。

「どうか、どうか。母さんを生きかえして下さい。お願いします」

 生き返るはずがなかった。
 小学生の俺は、初めての失望を味わった。
 そして、初めての、夢を失ったようにも感じてしまった。





 泣き出しそうな雲とは、このことを言うのか。
 寝そべり雲を観ていた。
 昔を思い出し、涙ぐむ俺はそう思う。


 あれ。そういえば何で、昔を思い出したんだろう。
 虚ろな目で、俺は思う。

「あ」

 財布を開ける。母の古い写真を取り出した。
 母さんの顔には特徴があった。目がくっきりとした二重で、唇の下には二つの黒子がある。

 学校の屋上から観ることの出来る、ベンチに座る一人の女の子。
 隣には、汗を拭きながら、器用にタバコを吸っている、女の子がいた。
 どこかしら母さんに似ていると思って、観ていた。


 あいつが、男に駆け寄る。

 女の子の目線は、あいつの背中を追っている。

 女の子はサンドイッチを落とし、立ち上がる。

 あいつと話す。

 ・・・俺を観る。

「え?」声を漏らす。

 疑問を持つが、平常を保ち、手を振ってみた。

 手を振ったあとにベンチに座る。
 そして、寝そべっていた。



 あ。だから久しぶりに母さんを思い出したのかもな。
 母さんの写真を財布にしまいこんで、泣き出しそうな雲空を見つめ返す。
 雨が降ったら浴びてもいいか、そんな心境だった。


トントントン。

トントン。

トン。

 軽やかなステップで、階段を上がる足あとが聞こえる。

 屋上の扉が、豪快に開いた。

あいつ:「うんとさ、この子、生き方わからないんだって」

女の子:「初めまして」

 こんな偶然のような奇跡は俺は信じない。
 口元に二つの黒子。二重は真剣な表情で、俺を刺すようにみつめる。

女の子:「生き方、教えてください」

俺:「無気力な人間にする質問じゃないって」

 これは運命のいたずらなのか。
 もしかして、あの時の願いが今、叶ったのか・・。
 どちらにせよ、これは現実だ。

 ・・・つーか、何を言い出すんだよ。

あいつ:「何か、教えてあげなよ」

 見事なフォローだ。

俺:「これから降る雨に、当たりながら一緒に考えるかい?」

 これは、賭けだった。こんな不審な発言に耳をかすような女の子は、いないだろう。変な顔をされて、逃げてしまう確率のほうが高い。

 口元の二つの黒子が、微妙に動く。
 女の子は、微笑していた。

女の子:「はい」

トントントン。

トントン。

トン。

 あいつと同じような軽やかなステップで、女の子は俺に近づく。


 あいつは、小さな革命を起こしてくれた。
 俺は、あいつに心から感謝する。少年時代の俺の夢が、小さな奇跡を起こしてくれたのかもしれない。

俺:「久しぶりですね」

女の子:「さっき、手振ってくれましたよね?」

 俺が言いたいことは、そんなことでないのだけれどな。
 母さん。久しぶりに会えたね。俺は嬉しいよ。


 事実でもあり真実である、現実が展開されていた。


続く…↓


[4]