俺には、子供のころに夢があった。
まだ高校生だが、こんなことを言ってしまう。
その夢は、けして叶えることの出来ない夢だからだ。
学校の屋上で、俺は優しい風に吹かれている。何もやる気が起きない。
ただ、屋上に寝そべって、空を観たり、景色を観たり、人を観たりしている。
意味がない行為ということも知っているし、理解もしている。なぜか、辞められない。「辞めようと思えば、いつでも辞めれる」。それだけが、事実でもあり真実でもあった。そんな考えの俺は、自分に失望する。
そんな思考をしてしまうときには必ず、
「心が痛い」
と、一人、屋上で言ってしまう、俺。情けない。いつもそうやって逃げているだけだ。
子供のときの、小さな夢。子供にとっては、大きな夢。
それは、死んだ動物を生き返らせる方法だ。
小学生のときにハムスターを飼っていた。
茶色の毛並みで、チョコチョコと動き回ったり、木の実をかじる姿が、愛らしかった。
母が誕生日のプレゼントに買って、俺にくれた最初で最後のプレゼントだった。母が死んだとき、俺の祖母が、
「きっと、お母さんは、ハムスターに変身したのよ」
その言葉を、当時の俺は真に受けていた。今、考えると、そう思い母の存在を忘却したくなかったのだと思う。
母の死から、祖母の言葉を信じて、いつも学校帰りにすぐにハムスターに駆け寄っていた。そして、俺は必ずこう言う。
「ただいま、母さん」
小さな姿になっただけで母さんは、俺の母さんだった。今日の出来事を日記に書くように、ハムスターに語りかけていた。
「今日ね、友達と喧嘩したんだ」
「今日ね、先生に褒められたんだ」
「今日ね、友達と仲直りしたんだ」
「今日ね、先生に怒られちゃったんだ」
祖母はそのときの俺を観て、どう思ったのだろう・・。きっと、気を重くして影ながら俺を観ていたに違いない。
ハムスターになった母に、齧られた時は今日の出来事を反省して、黙って背中を撫でることが出来たら褒めてくれていると、当時の俺は勝手に解釈していた。
そうすることによって、やはり、母の存在をかみ締めていたのだろう。
ある日、帰ったら母がいなくなっていた。
祖母に、
「母さんは?」
と尋ねたら、「逃げ出したよ」
と答えた。 小学生ながら俺は感じた。「逃げ出したよ」は「死んだよ」の裏返しなのだ。
俺はそのとき、
「そっか、絶対探してみる」
祖母の視線を感じながら、家中を探している俺は、虚心を覚えた。俺は残酷なことをしている。祖母に対しても、自分に対しても。祖母が、俺の後ろを静かに追ってくるのがわかった。そのときの俺は、涙を出しながら探していた。
鼻水を垂らしながら、涙を流しながら、シャックリを上げながら、
「いないなー」
と、背を観ているだろう、祖母に間接的に訴えていた。八つ当たりにも、似た感情。今ではそう思う。
そして、その日の夜、誰かに願う。布団に潜り、暗闇の中、無我夢中で。
「どうか、どうか。母さんを生きかえして下さい。お願いします」
生き返るはずがなかった。小学生の俺は、初めての失望を味わった。
そして、初めての、夢を失ったようにも感じてしまった。
泣き出しそうな雲とは、このことを言うのか。
寝そべり雲を観ていた。
昔を思い出し、涙ぐむ俺はそう思う。
あれ。そういえば何で、昔を思い出したんだろう。
虚ろな目で、俺は思う。
「あ」
財布を開ける。母の古い写真を取り出した。母さんの顔には特徴があった。目がくっきりとした二重で、唇の下には二つの黒子がある。
学校の屋上から観ることの出来る、ベンチに座る一人の女の子。
隣には、汗を拭きながら、器用にタバコを吸っている、女の子がいた。
どこかしら母さんに似ていると思って、観ていた。
あいつが、男に駆け寄る。
女の子の目線は、あいつの背中を追っている。
女の子はサンドイッチを落とし、立ち上がる。
あいつと話す。
・・・俺を観る。
「え?」声を漏らす。
疑問を持つが、平常を保ち、手を振ってみた。
手を振ったあとにベンチに座る。
そして、寝そべっていた。
あ。だから久しぶりに母さんを思い出したのかもな。
母さんの写真を財布にしまいこんで、泣き出しそうな雲空を見つめ返す。
雨が降ったら浴びてもいいか、そんな心境だった。
トントントン。
トントン。
トン。
軽やかなステップで、階段を上がる足あとが聞こえる。
屋上の扉が、豪快に開いた。
あいつ:「うんとさ、この子、生き方わからないんだって」
女の子:「初めまして」
こんな偶然のような奇跡は俺は信じない。口元に二つの黒子。二重は真剣な表情で、俺を刺すようにみつめる。
女の子:「生き方、教えてください」
俺:「無気力な人間にする質問じゃないって」
これは運命のいたずらなのか。もしかして、あの時の願いが今、叶ったのか・・。
どちらにせよ、これは現実だ。
・・・つーか、何を言い出すんだよ。
あいつ:「何か、教えてあげなよ」
見事なフォローだ。俺:「これから降る雨に、当たりながら一緒に考えるかい?」
これは、賭けだった。こんな不審な発言に耳をかすような女の子は、いないだろう。変な顔をされて、逃げてしまう確率のほうが高い。口元の二つの黒子が、微妙に動く。
女の子は、微笑していた。
女の子:「はい」
トントントン。トントン。
トン。
あいつと同じような軽やかなステップで、女の子は俺に近づく。
あいつは、小さな革命を起こしてくれた。
俺は、あいつに心から感謝する。少年時代の俺の夢が、小さな奇跡を起こしてくれたのかもしれない。
俺:「久しぶりですね」
女の子:「さっき、手振ってくれましたよね?」
俺が言いたいことは、そんなことでないのだけれどな。母さん。久しぶりに会えたね。俺は嬉しいよ。
事実でもあり真実である、現実が展開されていた。
続く…↓
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