蝉は嘆きもせず




 「お前は生きられない」「ははは」夏の終わりが近くになり私の終わりも近くなる。

 意識を取り戻した私に、父が語りかける。近く遠い記憶では、私の名を呼び続ける父の涙、父の動揺、父の嘆きが刻まれていた。

 平静の父は、眩しいほどの白いベッドに寝かされた私に対し哀れみの目をしていた。「どうして」や「なぜ」とは聞かれなかった。
 私には自分で決めたルールがある。『蝉のような純粋な死』。

 少し前まで高校陸上選手だった。夏の大会に向け練習の日々を毎日送っていた。炎天下の校庭には乾いた砂埃が舞う。その砂埃を生み出し、吸い込み、ただひたすら走る。「よくやるな、今回も優勝だな」と常に言われていた。長距離の選手は、持久力を維持しなければならない。高校から自宅まで約二キロの道のりを常に走って帰っていた。 木、木、木、電柱、木、人、人、木、木・・走るのは楽しかった。走るために生きていた。電柱、木、木、人、花、木、花、木、車、車、車・・、赤、白、黒。私はトラックにより撥ねられる。飲酒運転だった。このとき私は十メートルほど飛ばされたらしい。倒された近くには、息絶えた新しい蝉が仰向けに倒れていた。私の血により、コンクリートはどす黒く、蝉は太陽の光により赤くつややかと輝いていた。ひどく印象的だった。私の目の前は白くなり、次に黒くなり意識は消える。 私の向いていた逆側には、私の右足が落ちていたことも後に知った。

 幸い、いや不幸にも右足を無くした私は生き延びていた。病院のベッドから見える木には三匹の蝉が鳴いていた。一週間の限られた命は、鳴いていた。血の付いた赤い蝉は、泣いていた。私も泣いた。私の足は、無いていた。「ははは」切ない気持ちは笑いになった。「あはははは」病室の中一人で悲しみを叫ぶ・・。そう。まるで、蝉のように。 退院した日に家にあった薬をすべて飲んだ。正露丸、抗生物質、睡眠薬・・塗り薬まで舐めていた。そして再び、片足を失った蝉は笑い続ける。「はははは、ははは」父が帰ってきたときには、死にかけた蝉のようにピクピクと体が小刻みを覚えていた。もはや鳴き声は消えていた。

 哀れむように私を見ていた父は、体に繋がれた何本もの点滴、呼吸器をはずし私をゆっくり背負い病室を出た。父の背中は、大きくまるで木のようだ。「はははは」蝉のように鳴きだした私を背負いながら音を立てず廊下を歩き出した。呼吸が困難になり始めた。そして私は純粋に──。





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