ナイフで手首を切った。ミチの部屋で。
ミチの目の前で。
ここで物語は壊れ‥、新しい物語が始まりだした。
ミチは手首から滲みでる血の上にティッシュをのせた。
「ありがとう」
僕の声は少しかすれた。きっとミチの耳には届かない。行き場を失った言葉は、た だの音となって静かに床に滑り落ちた。言葉の死骸が床に横たわり、それが奇妙な間を作 りだした。渓谷のように、深い溝が彼女との間にあるかのようだ。僕はその溝へ一歩大幅に踏み込む。
「ミチ」
僕は吊り橋を渡るかのようにそっと、呼びかけた。「…なーに」
こちらを向かずに彼女は答えた。僕は話す。振り向いたミチの首を片手で優しくつ
かんだ。
「僕が今首を絞めたら、一生ミチは僕のものだよね。絞めていい?」
僕は言う。ミチは驚かなかった。
ミチの目は遠くを見ている。いや、僕を夜空に浮かぶ月のように愛しさを込めて見ているのかもしれない。
‥ミチと目が合った。
グロスを塗られた唇が残酷までに口を煌めかせた。
その口が揺れる。
「‥いいよ」
もう片方の手をゆっくりと後ろに回す。腕に乗せていたティッシュが剥がれ落ちて、ミチの首に血がひっそり付いた。
細い首は手に包まれた。ミチの脈が手のひらに伝わる。脈は、早くなりつつある。
僕はミチの視線を見続けている。
「お願いがあるの」
ミチは擦れた声で言う。「キレイに‥」
ミチの言いかけたセリフの途中で思い切り手に力を入れた。そして、しばらくして脉は失った。
ミチの死体は今でも僕の部屋に存在する。いや、僕と住んでいるのだ。
ミチの最後のセリフ「キレイに‥」は未だ分からないままだ。
そして今日も、ミチの腐りきった体を薄笑いを浮かべ、拭いている僕がいた。
首に付いた血は拭き取らない。それに意味は無い。
今日もミチの体に蛆がわく。蛆を取る。
僕はキレイなミチを保ち続ける。