私はあなたが嫌い[家庭編]




 生きる理由?そんなのないね。
 死ぬ理由?そんなのないね。

「君は、わがままだね」

 当たり前だよ。いちいち理由なんかつけてられない。

「何で存在している?」

 ま、物体としてだね。
 君はいちいち哲学者みたいなことを言うんだね。

「理由が欲しいんだ」

 そういうこと考えていると頭がおかしくなるよ。

「知っている」

 もうおかしいの?

「当たり」

 僕も友人におかしいってよく言われます。

「敬語になりましたね」

 理由なんかないけどね。

「元に戻りましたね」

 君は敬語のままだ。どうして?

「理由なんかないのですけどね」

 僕は君が嫌いだ。

「私もあなたが嫌いです」

 お互いが嫌い合ってるって、なんだかいいね。

「そうですね、すれ違う他人より親密な雰囲気があります」

 少なくともお互いの存在を認めていることになるよね。

「はい、私はあなたに嫌われるために生まれてきたかもしれません」

 僕も君に嫌われるための物体として生まれてきたのかもね。

「はい、私が死ぬときは、あなたが私のことを無視したときでしょう」

 こんなに嫌いな奴なんか、無視したくても出来ないよ。

「ありがとうございます」

 僕のことも、無視しないでよ。

「はい」

 どうでもいいけどもう敬語やめたら?

「いいえ、あなたに好かれてしまいます。嫌いから、好きという間の通過点に、きっと私のことなど、どうでもいいという感情が発生します」

 君のその硬いしゃべり方どうにかなんないの?

「どうにもなりません」

 やっぱ君のこと嫌いだ。

「ありがとうございます、私もあなたのことが非常に気に入りません」

 僕のどこが嫌い?

「言いません」

 はいはい。あー腹立つ。

「結構なことで」

 …。

「まぁ、私も貴方も嫌われることが存在証明なのですから、運命と考えましょう」

 そうだね。僕がもし君の事を嫌いすぎて、君に殺意を抱いて殺してしまうというシナリオは考えないの?

「私が死ぬときは貴方が死ぬときですから」

 どうゆうこと?

「これは答えましょう、貴方は私ですから」

 え?

「あなたの中の人格の一つです、あはははは、もう覚めますよ」

 夢から覚めた。嫌な、嫌な夢を見てしまった。まだ夢の内容がクッキリと脳裏に焼きついている。そして、あいつの最後の笑い声。低い声でもなく、高い声でなく、鐘の音のよう響きわたる。
 何だったんだ、あれは。
 時計を見ると、もう九時だった。今日も学校に遅刻が決定した。取り合えず歯を磨きに洗面所に向かう。音を立てないようにゆっくりと歩く。親を起こさないように。
 洗面所の前にたった。自分の顔を見ると隈があった。いつものことだと思ってコップを取る。ぐぐ。
 何かを潰してしまった。蜘蛛。

「わっ」

 その拍子にコップから手を離してしまった。がちゃん。しまった。
『ど、ど、ど』足跡が聞こえる。親を起こしてしまったのだ。足跡が近づいてくる。
 僕は何をしたら良いか分からなかった。

「ヤヨイ、どうしたの…」

 気が付くと親が目の前に立っていた。右手にはボールペンを力強く握っている。

「すいません。コップを落としてしまいました」

 僕の声は震えていた。冬の朝は寒く、もう手の感覚がなくなっていた。蜘蛛が手に張り付いたままか、落ちてしまったかさえも分からなかった。
 親の右手がわなわなと震えだす。この人は異常だ。

「今、片付けます」

 親の前で犬のような格好になってコップを拾った。次の瞬間、背中に鋭い痛みを感じた。しかも何回も。ボールペンで背中を何回も突いていた。カキ氷をさくさくとストローでかき回す要領に比例する。

「今度やったら、包丁で刺すわよ」

「はい、すいませんでした」

 そう答えると、何も言わないで去っていった。
 コップをすばやく片付け、逃げるように家から飛び出した。涙が止まらなかった。屈辱と憎しみを通り越すと涙がでるらしい。もうこの生活が十年になる。こんなの自分じゃない、そう思い続ける日々だ。
 気が付くと蜘蛛が、Yシャツの袖に張り付いていた。もちろん死んでいる。
 僕も死にたいよ。歩きながらそう考えていた。

『あははは』

 頭の中で声がした。あの奇妙な声。薄気味悪い声。
『私が殺してあげましょうか?』

 夢の中と同じ声。意外に僕は冷静だった。その声がごく自然に聞こえたからだ。
 うん、僕を早く殺して。

『あなたは殺しません、あいつを殺します』

 え?

『だってあなたは私なのですから…』

 もうどうだっていいよ。好きにして。

『分かりました、ではあなたには眠ってもらいます』

 奇妙な共同生活が始まった。きっと一般的に言えば二重人格となるだろう。次起きたときは親がいなくなっているかもしれない。別にそれもどうでもいい。


 そして今日も奇妙な夢から目覚める。
 誰もいない洗面所で、犬のような格好をして一人で謝っている。目の前には誰もいない。空気に勝手に謝って、自分の右手にボールペンを持って背中を鋭く突く。無意識の行為だった。
 いつから僕は幻覚、幻聴を感じていたのだろう。親は気が付いたときいなくなっていた。
 狂っているのは僕のほうだった。もう一人の自分が親となって、日々ループしているのだ。

 それに気が付いたとき、永遠にもう一人の自分を憎むだろう。

 そして、永遠にもう一人の自分は生き続ける。

 そして僕の隈は次第に濃くなっていく。






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