僕は毎日、おばあちゃんの家に行っていた。その行動は日常であって、習慣となってい た。
「今日もお願いね」
とおばあちゃんの声がした。当時、中学生だった僕は反抗期という時期に入っていたが、おばあちゃんの言うことは素 直にきいていた。
「うん」と僕は答えた。
長い廊下の一番奥の部屋に、行事か待っている。部屋に入ると同じにお線香の匂いが鼻に 入ってきた。一直線で真っすぐなお線香。僕がドアを開けたときの風圧で、灰となっても 形を保とうとしていた部分が、折れた。
僕は、それを観て少し得した気分になった。
目線を布団に移す。そこには、仰向けになって静かに眠っているお爺ちゃんの姿があっ た。頬は痩せ落ち、白髪交じりの頭は同情に値する。このお爺ちゃんの面倒をみるのが僕 の行事である。
行事といっても、一日中寝ているお爺ちゃんの隣でテレビを観ているだけだ。
お爺ちゃんは病気だ。身体的な病気と精神的な病気にかかっている。身体的な病気は、癌だ。死を医 師から宣告されたお爺ちゃんは、精神的に参ってしまったというわけだ。目が覚めると誰 もいないという恐怖がお爺ちゃんを支配している。孤独。
もしも目が覚めて誰もいない状況におかれると、絶望的な泣き声を発し、狂ってしまう。 近所にもその声は聞こえて、お爺ちゃんは狂人とされてしまっている。
でも僕はそう思わない。お爺ちゃんは人一倍寂しがり屋なだけで、おかしくなっているわ けではないんだ。
「ゴホ、ゴホ」
お爺ちゃんが目を覚ました。僕の顔をみるとにっこりと目尻と口元に皺を作る。ほらおか しくなんかない。布団がもぞもぞと動くかと思うと、手が出てきた。痩せて皮と骨だけに なった手。木の枝のように細い指で、タンスを指を指した。これはお爺ちゃんによるジェ スチャーであって、タンスを開けろという意味を表している。立ち上がりタンスを開ける。黒飴が入っていた。きっと僕にくれるということなのだろ う。
「おいしい」
と言うとお爺ちゃんは目尻に皺を寄せたまま頷いた。顔は笑っていた。そのとき僕は元気だったお爺ちゃんを思い出した。 元気だったときのお爺ちゃんは、僕をよく散歩に連れていってくれた。僕は散歩が好きで はなかった。歩くことの意味が分からなかったし、面倒だった。特に冬や夏のように温度 に極端な変化がある日など、柱にしがみついてまで行きたくなった。
それでも無理矢理連れていかれて、黙ってお爺ちゃんの後ろを歩いていた。そんな僕にお 爺ちゃんはいつも言っていた。
「もう少し行ったら、飴やる」
僕はそんな子供騙しにすぐかかったんだ。そして飴は散歩 のごとに種類が違っていた。コーラ味、ぶどう味、いちご味など色々種類があった。僕 は、散歩の途中に舐めるコーラ味の飴が一番おいしいと感じる瞬間でもあった。散歩の意味は健康のためだったということをおばあちゃんにあとで聞いた。
今のお爺ちゃんの姿をみると、僕の心は缶を潰すように軋むようだ。お爺ちゃんが、ひどく哀れに見え てしかたなかった。
そして今でも僕に飴をくれる。飴だけを僕にくれる。飴の種類は毎日黒飴だけど僕は、舐める。
「おいしいよ」
僕はお爺ちゃんに毎日言う。そしてお爺ちゃんは嬉しそうに、頷くんだ。そんなお爺ちゃんが僕は好きだ。
ふと意識を戻す。お線香がまた折れる。そのお仏壇の写真のお爺ちゃん。いつもどおり、 目尻と口元皺を寄せて笑っていた。
銀色の小さな皿に、ご飯をもる。飴をくれたお礼だと僕は思っている。お爺ちゃんは狂人 という誤解を解けずにいつの間にかこの世を去っていた。
あ、お爺ちゃんに僕は、一言忘れている。
その言葉。
「飴くれて、ありがとう」
僕はその瞬間、僕の中のお爺ちゃんを殺してしまったんだ。僕の目から涙が出るのが分かった。