[5]






■ユリ 現在■

「スルピルト飲かい?」

 ミナミに言われた。私にとってこれ以上の屈辱はなかった。台所から包丁を取り出し、彼に突き刺したかった。

『まだまだ出る、面白いこの人形』

 頭の中で声がする。息が、呼吸が荒くなる。

『あはは、本当におもしろーい』

 リリ。頼むからもうやめて。私が悪かったんだ。だから私の中から早く消えて。

『あなたにもこの苦しみを味合わせてやる』

 過去の記憶がフラッシュバックする。私の意識は失った。ありとあらゆる感情が総合して入ってくると、人間は対処できないらしい。
 目を開いた。彼が、いた。
 私は冷たい床に横たわっていた。小さな頭痛がゆっくり頭を走る。

「やあ」

 彼は無表情に言った。

「おはよう」

 私も無表情に言った。

「ねえ、私どうなっていた?」

 彼は、自分で注いだ水を飲んだ。唇が赤く震える。

「壊れていた」

 そう、私の発作は壊れることだ。パニック障害の中の一つだ。

「ところで…」

 彼から話しかけてくる何てめずらしかった。

「リリって誰?」

 動揺した。彼に私の心の声が聞こえていたのか。彼に真実を話すべきなのだろうか。いや、これだけは口を裂けても話してはいけない。これまでリリのことは誰にも話していないし、話す予定も無い。だが、彼はこういう話には必要以上に聞いてくるはずだ。

「リリか、ふーん」

 彼は何かを考えている素振りだった。そんなことより、リリについて聞いてこないことが意外であった。

「私が発作を起こしたときの状況を教えて」

 彼はゆっくり視線を私に向ける。
 私もゆっくり視線を彼に合わせる。

「君は、蜘蛛を殺そうとしていたね。いや、殺したんだ。発作は次に起きた。急に息が荒くなって、首を左右に振り続けていた。リリ、やめて。リリ、やめて。リリ、やめて。消えて。消えて。消えて。その繰り返しだったよ。約五分間は呆然と君を見ていた。時間が経てば落ち着くと思ってね。でも、落ち着くどころか状況は悪くなり始めたんだ。君が突然笑いだした。まるで別人のようだったよ。そしたら急に倒れたんだ。そして今に至る」

 笑い出した?私にはまったく記憶にない。彼は嘘を付くような人間ではない。何がどうなっているのか…、私には理解できなかった。

「取り合えず、薬を飲んで今日は休みなよ」

「そうする」

 彼は影のように立ち上がり静かに歩いていった。私は朦朧としている意識の中、彼を見ていた。揺れる部屋の中、彼が一瞬だけ、笑ったように見えた。
 部屋にはただ、もげた蜘蛛の足が一本残っているだけだった。


 私がパニックになった理由はリリが原因だ。
 いつの間に私はリリのような人間になってしまったのだろう。私は、私だ。そして彼は、彼だ。リリさえ、リリなのだ。
 リリ、あなたは今何をしているの?私は殺す相手が見つかったわ。リリは見つかった?

私はそんなことを考えながら眠りにつく。

続く…↓

 [6]





←index